【トークイベント(2025.5.14)】質問(コメント)と 回答 1〜4

『物と経験のあいだ——カルロ・スカルパの建築空間から』(みすず書房)刊行記念トークイベント(2015.5.14)において、本の概要紹介の後に行われたトークを、12の「質問(コメント)と 回答」にまとめました。

なお、本の概要紹介については、当日のスライドを1分間に圧縮した動画がありますので、よろしければご覧ください。

「質問(コメント)」は、1〜4が加藤耕一先生、5〜9は建築関係者の方々、10〜12は建築関係者でない一般の方々からいただいたものです。「回答」は、当日のトーク内容と後日に考えたことを合わせていますが、暫定的(備忘録的)なものとご理解ください。

これだけを読むと、もしかすると激しい論戦が展開されたように思われるかもしれませんが、実際には、お互いの論点を明確にしようとする穏やかで有意義な議論でした。改めて、加藤先生をはじめ、参加していただいた皆さま、ありがとうございました。

 

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【質問(コメント)1】 この本は、具体的な建築物を扱いながら、抽象度を高めていく書き方に特徴がある。そのねらいは?

【回答】 率直に言うと、筆者は、具体的な物と抽象的な概念の関係(重なり)を感じることが、建築の経験では重要だと思っている。我々が環境を認識するとき、必ず何かしらの抽象(共通性の把握)が生じる。人間は、抽象概念を具体物から切り離せるようになったけれども、一方で、具体物を抽象概念から完全に切り離すことはできない(一切の抽象概念なしに具体物を捉えることはできない)ため、その関係に注意する必要があると考える。

本書で論じている抽象概念(空間図式、変移パターンなど)は、そのように具体物から切り離せない抽象概念であり、言いかえると、誰もが日常的に使っていると思われる概念である。筆者は、それらを意識(自覚)することが経験の豊かさにつながると考えている。言い方をかえると、「抽象概念は具体的経験とは関係がない」と考えてしまうと、経験の豊かさを制限してしまうのではないだろうか。

 

【質問(コメント)2】 従来の建築理論(空間論など)は建築を「読む」傾向が強かったのに対し、最近は、建築を「つくる」ために背景(社会・環境・技術など)との関係を論じるものが多い、という話があった。しかし、従来の理論は建築家の「手法」を示す「つくる」立場の理論とも言えるのでは?

【回答】 スライドでは、西洋における従来の建築理論の主要トピックとして、比例(古代〜)、性格(18世紀〜)、様式(19世紀〜)、空間(20世紀〜)があったと紹介した。それらは、基本的に「過去の建築の魅力の秘密は何か」を問うものであったのに対し、現代の理論は、「建築は社会や環境にどう役に足つか」「建築は最先端の技術をどう活かすことができるか」のように、建築自体の特徴(自律的特徴)というより、大きな状況(社会・環境・技術など)に建築がいかに対応できるか(他律的態度)を主張する傾向がある。このような最近の傾向は、ある意味で、現在つくられる建築の「正当化」の側面があるので、「つくる」ための理論と言えると考えた。

なお、このように整理をする意図は、「従来の理論と最近の理論のどちらが重要か」を問いたいからではない。それらはどちらも重要であり、本来補い合うべきものである。むしろ批判したいのは、「これらの一方が重要で、他方は重要ではない」とする態度である。もし仮に「もはや従来の(古い)トピックを論じている場合ではない」とか、「常に社会との関係を考えるべきだ」という態度が現代にあるとすれば、それは「建築のことはもう分かっている」という傲慢な態度であり、発展を阻害する危険性があると思う。

と、ここまでは、発表意図の説明であって、質問への回答ではない。質問は、「とは言え、やはり空間論は建築家の『手法』を明らかにしているのではないか? 今回で言えば、スカルパの『デザイン手法』を示しているのではないか?」というものである。

ある程度、その通りだと思う。対象としている建物が「建築家」を想定できないもの(古代〜中世の建物)もあるが、「作り手」の「手法」と言えるものを示していることは間違いない。そこで問題は、「その『手法』を明らかにしようとする目的は何か」ということだと思う。

その目的が「建築家(作り手)のデザインの正当化」に過ぎないなら、その空間論に対する批判は正しい。しかし、本書の目的は、「その『手法』を知ることによって経験の豊かさを感じてほしい」というものであり、むしろ「作り手が感じさせる『手法』」ではなく「受け手が感じる『仕組み』」と捉えてほしい、と思っている。

実際に本書では、スカルパの「手法」は、主にヴェネツィアから読み取られた「仕組み」であり、そこには人間に共通する「能力」あるいは「欲望」が反映していると考えている。しかし、普遍的な「仕組み」や「能力」だからと言って、誰でも簡単に使いこなせるとは限らず(どんな能力もそうであるように)、それを知る(自覚する)ことには意味があるだろうと考える。

 

【質問(コメント)3】 空間論は、建築における「物質」と「時間」の側面が抜け落ちてしまう傾向があるように思われるが、どう考えるか?

【回答】 一般に、空間に着目する理論は、「物質ではない空間」「時間ではない空間」というように「〜ではない」部分に焦点を当てるという意味で、「物質」や「時間」に対する考慮が抜け落ちやすい、とは言えると思う。そのような限定的な空間論の場合、たしかに建築経験の魅力を論じるには不十分である。

一方、本書では、そのような限定的な空間論(「形としての空間」など)を批判し、あくまで「物質(または物体)」があることによって捉えられる空間と、その空間が経験において「変移」することで浮かび上がる時間(持続)を論じており、むしろ「物質」と「時間」を考慮した空間論の重要性を主張している(空間こそが物質と時間をつないでいると主張している)。

ただし、トークイベントのなかで以下のような議論(1)(2)があり、今後の検討を要する。

(1)「物質」について、本書では、それが「《群》を成す」ことで空間変移を促す点に着目している。「《群》を成す」とは、例えばある石があった場合、それが用いられる地域性、伝統や自然とのつながりなど、記憶やイメージが喚起されることによって「いまここ」にとどまらないつながり(多層性)が浮かび上がることである。

しかし「すべての『物質性』は《群》に回収されるか?」と問われると、簡単に答えることは難しい。筆者は、ほとんどの「物質性」は《群》を成すことで経験に働きかけると考えているが、もし《群》を成さない「物質性」があるとすれば、それは他と結びつかない「純粋な感覚」、あるいは「驚き」のようなものだろうか? そのような「純粋な物質性」の建築における可能性を考えることは興味深いと思う。

また、「物質性」を「触覚性」と捉えるなら、たしかにそれは、視覚によって喚起される記憶やイメージに回収されないものだと言えるだろう。しかし、物質に触れることは、それ自体は意義深いとしても、それを建築経験の前提としてよいかは難しいところがあると思われる。もし実際に触れなくても「見ることによる触覚性」があるとするなら、それは視覚によるイメージに含まれるものではないだろうか。 いずれにしても、建築の経験(デザイン)が視覚偏重であることの問題はあり、それ以外の感覚——触覚、聴覚、嗅覚など——を考慮することは重要だと考える。

(2)「時間」について。上で述べたように、本書では「経験の時間」が主要な問題として論じられているが、一方で、建築にはそのような「短い時間(人間が経験する時間)」ではなく、もっと「長い時間(建築が存在する時間)」の問題がある。この「長い時間」について、たしかに本書では考慮されていない。

ここで、「長い時間」は「感じられるもの」か、「考えられるもの」か、ということには注意が必要ではないかと思う。もしそれが「感じられるもの」なら、「短い時間(経験の時間)」における現れを考慮する必要があり、本書の議論につながる。他方、それは「考えられるもの」だとすれば、建築の評価は「感じられるもの(経験)」に限らない、ということになる。

現段階では、「長い時間」は「感じられるもの」と「考えられるもの」にまたがるものだろう、と思う。すると、建築の価値は「経験」と「経験を超えるもの」にまたがっている、ということになる。 本書は「経験」で捉えられるものに注目したものであるので、「経験を超えるもの」との関係については、やはり今後の課題としたい。

 

【質問(コメント)4】 本では、建築空間論の伝統として、シュマルゾー以来の「幾何学的」空間論の系譜と、ヒルデブラントを起点とする「経験的」空間論の系譜が対比的に位置づけられていた。これらと、ゼンパーやロースが論じていた「被覆」の概念はどう関係すると思うか?

【回答】 建築の空間論は、19世紀後半のヨーロッパで、それまでの様式論より根本的な建築の議論を模索するなかで現れてきた。本書では、その大きな流れとして、三次元空間を問題とする「幾何学的空間論」(シュマルゾー [1853‒1936]、ギーディオン [1888-1968]など)と、空間の二次元的(絵画的)な現れを考慮する「経験的空間論」(ヒルデブラント [1847-1921]、ヴェルフリン [1864-1945]、コーリン・ロウ [1920-99] など)を対比的に示した。本書は、「どちらが正しいか」を問うのではなく「どちらも考慮すべき」と主張するものであるが、歴史的に「幾何学的空間論」は「経験的空間論」を排除しようとする傾向があったため、「経験的空間論」の意義を押し出す論調となっている。

このように「それまでの様式論と違う、より根本的な建築の議論」の発展について考える上で、ゴットフリート・ゼンパー [1803-79] の理論は、その始点とも言える重要なものだと思う。しかし本書では、上で述べたような空間論の傾向に簡単に位置づけることはできないと考え、取り上げなかった。

「被覆」の概念は、空間を囲うこと(包囲空間)に関係することは間違いないとしても、それ以上の根源性が考慮されており、それを位置づけるためには「幾何学的」「経験的」以外の軸が必要かもしれないと今は考えている。今後の課題としたい。

 

 

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